今週月曜に,東京大学の暦本研が進めているヒューマンオーグメンテーション学のシンポジウムがあったので行ってきました.
SFとテクノロジーの相互関係から,「人間拡張学」の未来を皆様と一緒に議論したい,というのがテーマでした.
結果的に,2人のゲスト( ドミニク・チェンさん, 上田岳弘さん )がぬるっとしゃべって,途中で暦本先生が混じってちょこっとしゃべって,というまぁまぁカオスな会でした.味八木先生が大変そうでした.
なのでメモも取りづらかったですが(なので下記の内容は本当に先生方がおっしゃったかは保証しません!),ゲストセッションで個人的に引っかかったハナシを書いておきます.
暦本研の研究紹介もあったけど,まぁみなさんご存知のやつだから一旦スルーで.
人間拡張と個の概念について
上田さん連載中「キュー」について,18のシンギュラリティを経て人類が進化していく,という内容で, 前半9個は「○○の発生」(例えば,言語の発生,活版印刷の発生など)から後半9個は「○○の廃止」, 最終的には「個の廃止」が起こる(エヴァとか,AKIRAに近い思想とのこと)というハナシがあり, そこから
- 世の中はフラットになってきている
- 生まれてきた能力差がなくなる世界が先進的な世界
- 格差を消していくように進んでしまう(「なるべき」ではなく「そうなる」と言ってた(と思う..))
- ドゥルーズの「dividual」という概念の紹介
- シンポではよくわからんかったが,ここらへんを見てちょっと理解を深める
- 管理社会においては,個人は「individual(分割不可能なもの)」ではなく,情報的に細分化され要素として記述できる「dividual(分割可能なもの)」になる
- 個々を因数分解していけば,他人との共通部分が出てくる.それを共通化していけば,個は廃止されていく方向に向かう
感想(ポエム)
確かに,世界(というか人類)はフラットになってきていて,個を定義するものはなにか?という議論はありうると思う.
例えば個々人の能力に限定して考えると,パワプロみたいに能力を情報化(パワー=A,ミート=C,...)できて, 将来テクノロジーで全員オールSに底上げることは可能だし,そうなるべきだと思う. (下記事のイラストの「Equity」みたいなもの)
実際,知能に関しては自分の専門分野みたいな特別な部分以外は,ググったときの情報量でフラットになりつつあるし. (とはいえ,リテラシー・フィルタリング・解釈とかの個人能力への依存はまだ大きい)
なのでここで,じゃあみんな一緒じゃね?個を決定するものはなに?みたいなハナシはまぁロジックとしてはありうるけど, あんま現実感ないっすね.
シンポの議論の中でも,上田さんは「その中でも残る神秘性みたいなのはなんだろうということを考え書いてる」と言ってたし.さすがになんかあるように思ってる(考えることは大事).
まぁこういう哲学的なハナシはうだうだやるのは楽しいけど,「で?」みたいな感じになっちゃうな. 「神秘性」みたいな未定義ワードもでちゃうし...(インタラクション系は結構コトバとかテキトーなイメージがちょっとある)
個人的には,やっぱり技術でどれだけ人間をフラット(というか「オールS」)にできるか,みたいなところに興味がある.
ただし,SXSWで出してた暦本研のジャンブ拡張みたいに,
ただ闇雲に身体能力かたっぱしから上げてこか!となると,
「なんのために身体能力上げるんやったっけ?」「新しい体験のためです!」みたいな感じになって,
趣味でやりたくなる(=あんま他人に口出しされたくなくなる)ので,
そのへんは趣味でやるとして,仕事にもなんとかつながらんかなーという気持ち.
まぁ自分の権限でなんでもできるようになればしたいけど.
感情は成熟してきたのか?
ドミニクさんが,アルスエレクトロニカの「Future Innovators Summit」というので「Future Humanity」について議論したというハナシ
- 「知能は拡張されてきた,感情は成熟してきたのか?」という問いにたどり着いた
- テクノロジーは進化してきたが,感情については進化してきていないのでは?
- 例えば,「弔い」の感情はどうか
- 死者の鼓動をアーカイブして,自分のリアルタイムの鼓動と重畳して再生する「心臓祭器」(下記事)を作った
- で,どうだったか,のハナシはうまくメモできず..このあと映画「メッセージ」のハナシに流れた
感想(ポエム)
また感情の成熟とかいう謎ワード出てくる…
なんとなく言わんとする気持ちはわかる気がする(が,わからない)
でもちゃんと考えると,
- 「そもそも成熟した感情と未成熟の感情があるのか?」
- 「もしコミュニケートできれば,エジプト文明人と現代人は感情を共有できる?(=成熟してなければできるはず…人類における感情は時間方向に普遍?)」
- 「では,他の哺乳類・爬虫類とかの動物ならどうか?」
といろいろ疑問は湧く.
という意味では,「心臓祭器」を使ったら感情は成熟する,と逆に攻めてみたいが,それはそれで疑問.
てかこれは,故人に対して想いを馳せるときに「写真を見る」とか「遺品を手に取る」とかと同列で「脳のAPI」(後述)の叩く場所がちょっと違うだけ,という感じがする.
その場合,遺品とかの個々人に思い入れのあることに関するAPIを叩きに行くほうが効果(?)があるように思う.(ただし一般性はなくなる)
あと,自分の鼓動と重ねることでどういう感情が起こるのかはイマイチ想像できなくて普通にやってみたい.単純に考えるなら,「コンセプトはわかるけど,なんじゃこれ?」ってなりそう.
思考プロセスの可視化
「タイプトレース」というキーボードで打った文字を記録しておいて,再生するネタから,
- プロセスを可視化することでコミュニケーションを変えることができる
- キーボードを打った人はいないけど,気配を感じる
- 自分のプロセスを見る場合は自分の意識を外部化できている
- 自分を客観視することで落ち着けたりできる
- 心臓祭器のシステムで早い自分の鼓動を感じてると,鼓動が安定する
- 鼓動は自律神経系なので自分の意思によらないはず → 単純に客観視できているからとも言えないのでは(ドミニクさん)
- 客観視による改善はJackInのテーマのひとつ
感想(ポエム)
「タイプトレース」は知らなかった.おもしろかった.確かに誰かがそこにいるような気配を感じる.
確かに一般的に他者のアウトプットからその人となりをイメージする(e.g. 水樹奈々の楽曲からその人をイメージする)ことはあって,
さらに,インタビューやドキュメンタリーとかでどういう意図/想いで作品を作ったかを知ることで,よりその作品だけでなく人へのイメージを深める/深まることはあると思う.
けど「タイプトレース」はもっとアウトプットを産む過程を直接的に見せているから,なんか「存在感」みたいなものを感じるのかなぁ???
とか,もっと制御工学的に,人はなにかの入力から出力を出す単純なシステムで,普通他者からはその内部状態はブラックボックスで出力からそのシステム(=人)を推定するけど,その内部での情報の処理がわかればその処理が人そのものだ,みたいなハナシもできるかもだけど,それは考え過ぎやな.
単純に,よくわからんものに無理やり意味づけようとする心理学的ななにか(ゲシュタルト心理学的な?)な気がする.これはこれで面白い.応用できそう.
脳のAPI
暦本先生の準備してきた資料のハナシから,
- 4K/8Kのハイレゾリューションな情報よりも,ときに17文字しかない俳句により創出される情報が勝つ(暦本さん)
- これは脳のAPIを的確に叩いて,個々人の脳内に直接情報を生み出しているから
- 「頭の中で白い夏野となつてゐる 」(高屋窓秋)により生み出される「白い夏野」の情報量の高さは8K以上
- インタラクションの研究もかくあるべき
- モンハンワールドは高解像度の極地だが,グラの粗いDQ1でも同様に楽しい
- ここは2項対立になるのか?グラデーションでつながっているのではないか?(ドミニクさん)
感想(ポエム)
脳のAPIをうまく叩いて超高解像な情報を創出する,というのはよくわかる.好きな小説が映像化されたときに,それがどれだけハリウッドでカネかけてても,自分の中に生まれている情報よりもレベルが落ちちゃう/ズレが生じるのも似たようなハナシと思う.
確かに,絶妙に脳のAPIをクリティカルに叩いて,最高の体験をユーザに届けたい!というのはインタラクション屋さんの理想かも.
ただ,現実的には創出される情報量に個人差がありすぎるのがツラい気がする(情報に差があるのはOKと思うが,解像度が変わりすぎるのはたぶんマズい).正直,暦本先生があれだけ熱弁奮る「白い夏野」を,自分は脳に描けない(教養がない).全く同じ景色とはいわないけど,せめて同程度の解像度で感じたいところ.
それは個人の経験や教養,環境やそのときの身体/精神の状態まであらゆるファクタが関係しそうなので,なかなか大変そう…
だけどそれをフラットにするのもある意味人間拡張の1つ?(こうなったらなんでもありになりそうだが)
アートなら別に,「この作品の意味はあなたの受け取り方しだいです」みたいな感じで差があってもよいかもしれんけど,
コミュニケーションとか「これをあなたに伝えたい!」ってときに,それ込みで脳のAPIを的確に叩きにいくのは大変だわ.
ドミニクさんの言う通り,ここは2項対立ではなくうまく混ぜ込んでいったほうがよさそう(でも実際どうする??)
リアルの価値
最後の質疑応答で,建築学の学生さんが「VRとか出てきてるけど,リアルの価値はなにか?」みたいな質問をして,
- ドミニクさんは結構ズバッと「物質性に完全に特殊な意味はない」と言った(と解釈してる)
- 暦本先生は,(どういう文脈か忘れたけど)VRでは時制はコントロールできない,というハナシだった
- 文章で「長いトンネルを抜けると雪国だった」は2秒だけど,VRだと数十分かかる
- 脳はこの時制のダイナミクスについていける
感想(ポエム)
自分の解釈だと,ドミニクさんは結構強めに「あんま価値ない」って言ったように感じて,印象的だった.学生さん心なしかしょんぼりしてた気がする.個人的には同意,というかそうなってほしいという願望.リアルとバーチャルがごちゃ混ぜになって,両方を分ける意味がなくなるところまで行ってほしい.
暦本先生のは,単にメディア(=情報伝達の媒介手段)の特性的なハナシかな?と思ってしまう.VRでも時制のコントロールは得意ではないけどできなくはないと思うし(タイムラプスで見せたり,究極VRで文字読ませればいい,がそれはVRに向いていない)
リアルな物質のメディアとしての特性ってなんなんやろね…ハプティクスもそのうちなんとでもなりそうやし.
それこそ,「個の廃止」でないけど,どんどん共通要素がまとめられて,物質がなくなっていくんやろうか…不勉強な自分には下のソファしか頭に出てこなかったけど…
まとめ
あまりに哲学的すぎて,ここからインスピレーション得るのはむずいな… 考えるのは楽しいけど.
ささったのは,
- 能力のフラット化と個の意味
- 感情は普遍か
- プロセスを可視化することによるコミュニケーションの変化
- ハイレゾとローレゾの情報提示のグラデーション
あとブログ長すぎ問題.まぁ個人メモやし,とりあえず情報量はノイズ込みでも多めに残しとこ.