東大山中研究室プロトタイプ展「動きをうごかす展」に行ってきました.
www.design-lab.iis.u-tokyo.ac.jp
すごくおもしろかったです.なんというか気持ちいい.
この言語化の難しい「気持ちよさ」こそが山中研のキモですね.
忘れないうちに特におもしろかったものの感想を.
てかはてなブログって動画は載せられないんやね.正直動画で見ないと意味ない(さらに言うとナマで見て操作しないとあんまり意味ない)ので,感想を書くメディアとしてはいまいちだけど,他に選択肢ないので...
Parametric Tube
ダイヤルを回すと,中心の軸が回って,周囲のナイロン繊維のヒモのモードが変化(=「腹」や「節」の数が変化)して,膨らんだりウネウネしたりするように見える作品.
中心軸の回転につれて,ヒモを円筒座標系の r-z 平面に射影したときの始点と終点の位置関係が連続的に変化するのがキモなのかな?
回転速度なのか素材の作り方なのかわからないけど,何回やっても同じモード変化をするので予定調和的な気持ちよさがある印象.
Breathing Skeleton
作品解説の
呼吸動作を骨格のみで再現することで新たな生物的表現の提案を目的としたプロトタイプである。
の通り,「生物的表現」をめちゃくちゃ感じた作品.
呼吸の生む「焦り」←→「落ち着き」の感情を,完全に自然に感じることができて,しかもこちらまで焦ったり落ち着いたりするぐらい,作品側からの干渉を受けて驚いた.ダイヤルを最速に回したときのを見てると,こっちまで呼吸が荒れてきて動悸速くなったし.
形状が肋骨だから呼吸へのアフォードが強いけど,もっとシンプルな球形状とかでやるとどう感じるんだろうなぁ,と思った.誰かすでにやってるだろうし見てみたい.この作品はヒューマノイドロボットの文脈でこうなってるので,作品の意図からは脱線すると思われるけどね.
READY TO CRAWL
わさわさ動く系のやつですね.足っぽい棒状のやつの付け根が,カム(軸についている円盤上のやつ)の動きに従うので,足がわさわさ動くように見えます.説明難しいな...
2つのダイヤルで,カムの偏心と傾きを調整できるんだけど,その機構けっこう謎ってかすごい.ワイヤで引っ張ってカムの傾きとか変えられるような機構作れるんやね...
ダイヤルを回して動きの ON / OFFではなく,動き続けている足の挙動を変えられるものだったので,その点でも個人的にお気に入りです.渡邉恵太先生もおっしゃってましたが,自分も結構同じようなことを思ってました.
止めないためのインタラクションとしてダイヤルを使う.っていう話をMemoriumの論文で書いた.自律して動き続けるシステムに対してやんわり介入する「調節型のインタラクション」っていう提案をしている.(僕はそういうのが好き)
— 渡 邊 恵 太 (@100kw) June 15, 2018
SEER
山中研の方々には申し訳ないけど,正直これだけを見に来ました.上述の「Breathing Skeleton」が呼吸動作での生物表現なら,こちらは目と眉だけでの生物・感情表現の作品かと思います.
不気味の谷を超えた,という評判は確かに間違いないですね.正直さすがに人間とは思いませんでしたが,「感情を持ったナニカ」と直観的に認識した,という感じでした.SFなどで言われるような,いわゆる「アンドロイド」という印象です.
作品解説にも
ロボットが意思をもって外界や他者に注意を向けているかのような印象を与える
とありますが,まさにその通りでした.付け加えるとするなら,個人的な印象としては「意思をもって」というか「感情をもって」という感じですかね(まぁ表現の仕方の違いだけか).
ホントに感情があるように感じて,目ってこんなにチカラあるんだ,ということを再認識します.自分でMIDIコントローラでまぶたと眉を変えてるんですけどねw 眼球は(おそらく胸元のカメラで認識した顔に応じて)自律的に動きますが.まぶたと眉の,自律性のない制御できる部分が一部ある,というところが「アンドロイド」感を増しさせているのかなぁと書きながら思ってます.
眉は意外としょぼくて(失礼)ワイヤが顔から浮いているのですが,人間側の認識を阻害するレベルでは全くなく,正直これで全然いいです.眉なしバージョンもちょっと見てみたいですね.どこまで感情表現レベルが下がるのか気になります.
あえて入れているのか顔認識やハードの技術由来の問題かわかりませんが,眼球がサッカードというかチャタる動きをするのが,個人的には「人間」ではなく「アンドロイド」のように感じる一番の要因のように感じました.
作者の藤堂さんの意図はわかりませんが,個人的には例えば,「Lv100のモノを目指して完成度80%のモノ」と「Lv80のモノを目指して完成度99%のモノ」なら絶対値でいくと前者の方がすごいはずですが,体感としては後者の方が満足度などが高いように思ってます.レベルの高い「人間」よりはちょい下の「アンドロイド」(それでもレベル高いけど)を目指して,あえてチャタらせてたらすごいなぁと思います.
まぁ完全に個人の見解ですけどねw 藤堂さんは普通に「人間」を目指してサッカードとして入れているのかもしれないですし.まぁアートは個人の受け取り方次第ということで...
サッカード?チャタリング?
— R_MRT (@mu_777_) June 16, 2018
個人的にはこれのせいで(おかげで?)人間感よりアンドロイド感がめっちゃ増す印象#動きをうごかす展 #SEER pic.twitter.com/Z0WKtg1iOu
全体を通じて
SEERを見に来ただけのつもりだったのですが,他の作品もホントにすばらしかった... 最初にも書いたけど,ナマで操作して見て,としないと意味ない展示会だったので行っておいてよかったです.
いくつか全体を通じて気になるポイントを以下に.
完成度が高すぎて重箱の隅をつつきたくなる問題
完成度が高すぎるせいなのですが,このレベルまでくると細かいところがみょーに気になってきます.
例えば,「モータの音」や「ダイヤル操作と実際の動きの間の遅延」などですね.
(「遅延」はあえてのものもあるのかな...個人的にはこの手のものは応答なるべく速くあってほしいところです)
研究者やデザイナーと呼ばれる人にとってはコンセプトこそ命なので,そこまで気を回さないでよいとは思うのですが, そういう細かいところこそがめちゃくちゃ難しいところ,かつ,ユーザ体験に割としっかり響いてくるところで, 各企業の開発者はそういうところでめちゃくちゃ頑張ってるというのは,社会人になってから学んだ大きなことの1つです.
たまに「コンセプトこそ至高.俺は0→1だけをやりたい.あとは誰でもいいから普通に作ってくれりゃおk」みたいなヤツいると思うのですが,そういう人とはあんまり関わりたくないなぁと思います,ということを思い出してましたw ちょっと愚痴ですが,自戒も込めて.
評価とかできない問題
本質的なハナシではないとわかってますが正直,これどう論文にすんねん,とは思いました笑
それはつまり,この展示物を見たときの「気持ちよさ」の言語化や定量化ができず,客観的な評価が難しいということだと思います. 明らかに価値あるすばらしいもので,アートとしてはOKだと思いますが,サイエンスとしてはどう扱うのだろう...
あと OK / NG の判断のようなものも誰がどうやるのかなぁ. 山中先生が(それまでの経験をバックグラウンドに持った)独断と偏見で判断していくのだろうか. 企業でもやっぱデザイナーと言われる,経験ある識者ポジションの人の判断になるんだろうなぁ.
独断を許容する組織やプロジェクトならそれでOKだけど,今の自分の仕事のプロジェクトはマジで誰かが独断で判断すべきところも,ズルズルと半端に宙ぶらりんになり続けている部分とかあるし,みんなどうしてるんだろうか...